大雲院が、天正十五年(1587年)に創建した地は、二条新御所ですから、現在の烏丸通の二条を下がったあたりだったと言われています。
その後、豊臣秀吉の京都改造計画により、洛中を城壁(お土居)で取り囲み、この城壁の東辺に接する京極大路(現在の寺町通)に寺院が集められることとなり、天正十八年(1590年)に、寺町通の四条を下がった地に移転します。この移転によって、大雲院の敷地は数倍に拡張されました。これは、創建者の貞安上人に帰依する豊臣秀吉の格別の配慮によるものだったと伝えられています。
戦後は、寺地周辺が繁華街の中心となったため、昭和三十七年(1962年)に東山・今熊野に南谷別院を開設し、昭和四十八年(1973年)には本院も東山山麓の真葛ヶ原に移転しました。東山の現在地は、大雲院が移転するまでに多くの人の手に渡り、それぞれの遺構が残されています。