大倉喜八郎は、明治維新から大正に至る間、政府、軍部の物資調達を柱に、一代で大倉財閥を築き上げたことで知られています。その活動の場は東京でしたが、京都には惹かれるものがあったのかもしれません。晩年を京都で送るために別荘として眞葛荘を建設。間もなく生誕90歳を記念して建設され1927年に完成したとされているのが祇園祭の鉾をイメージした祇園閣です。大倉喜八郎の幼名は鶴吉、のちに鶴彦と称し、晩年は鶴翁と呼ばれたということで、屋根にそびえる銅柱には金箔を五回押した鶴が羽を広げ、正面入口の銅扉の見返しには大きな二羽の鶴が。これらは大倉喜八郎自身の象徴と言われています。また、この祇園閣は屋根が銅板葺であることが特徴で、京都の金閣、銀閣に並び銅閣とも称されています。基本は鉄筋コンクリート造で、石組に二層の楼を載せた三層構造です。石材も多用され、万成石、黃龍石、紅龍石などが随所に使用されています。下層の入口の左右に緩やかな石敷の階段を配し、壁面には敦煌の壁画が模写されています。途中に青銅製の奇獣の照明器具が有り、設計者の妖怪フリークとしての嗜好が見て取れます。
設計は、平安神宮や明治神宮、築地西本願寺なども手掛けた東京帝国大学工学部教授の伊東忠太によるものです。
大倉喜八郎と伊東忠太との関わりは強く、東京でも大倉集古館の設計を手掛けています。大倉集古館は祇園閣と同時期に竣工した美術館で、大倉喜八郎と嫡子の喜七郎が蒐集した美術工芸品を収蔵する日本最初の財団法人の私立美術館です。
建物は詳細にわたり祇園閣と相通じるところがあり、両者を比べてみるのも良いでしょう。
祇園閣
祇園閣の入り口
祇園閣の阿弥陀如来
銅扉見返しの鶴
祇園閣内部
祇園閣内部の照明
南門と祇園閣